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「辛」が多い職場でも「幸」を生み出していける

◎ 男性医師 30代
◎後期研修の2年間勤務、いったん整形外科研修に移るが、救命医に戻る予定

救命救急センター勤務を希望されたきっかけはどういったところから?

医師になる事を目標にした時、漠然と救命医になりたいと思っていました。自分はどんな職業であれ、労働者は皆それぞれの分野のプロだと思っています。おこがましいかもしれませんが、僕が人助けをできるのならば、人を救うプロになりたいと思いました。救命医は蘇生のプロであり、救命のプロだと考えています。研修医生活が終わる頃、自分はプロとして人助けをしたい、それもよりCriticalな現場で、アドレナリンが噴き出るような状況で医療を行えたらと思うようになりました。それが、自分が救命救急センター勤務を希望した理由です。

日々激務の日々だと思います。特に大変だ、と感じる時はどんな時?

眠れない時ですね。あとは医師や看護師らが不足している時。救命医療は体力勝負・マンパワー勝負的なところがありますから、体力が落ちてくる時間帯や勤務状況は辛いですね。

それでも救命救急で勤務し続けているのはなぜか?

救命医療や災害医療が好きだし、目標でしたから。体力的にきついとか、眠いとか、疲れたとか、そういった事で救命医療を諦めたくないですね。とことんやりたいとは思います。

救命救急で学んだことは何ですか?

「Quality of life」という言葉は有名ですが、その対に「Quality of death」という概念もある。最近はそう思います。

昨年、自分が経験した症例ですが、40-50代女性が心肺停止で搬送されてきました。懸命に蘇生を行いましたがなかなか自己心拍は再開せず、正直、途中から蘇生できたとしても脳蘇生は厳しいと思っていました。その後、この患者さんの自己心拍は再開したのですが、ほぼ脳死状態でした。蘇生できたけども、ほんの僅かな延命しかできなかったなと思っていました。そして、この僅かな時間は本人やご家族にどんな意味があるのか?と考えていました。救命救急センターで勤務している医師や医療スタッフならば、よく経験する感情だと思います。

その後、この患者さんがドナーカードを所持していて、脳死下での臓器移植を希望されている事を知りました。結果として、この患者さんは脳死下での臓器提供を行いました。

この症例を経験した時に、「Quality of death」という概念があるのならば、あの日の懸命な心肺蘇生は、この患者さんのQuality of deathを高めることができたのかもしれないと思いました。

 

又、航空搬送やDr.ヘリ、DMAT(災害出動)いった医療は救命救急ならではの医療であり、そういった医療を経験できたことは自分にとってとても意味があるものです。

現状の救命救急に関して感じている問題点は?

高齢者救急(End of life)について。立場はそれぞれだと思いますが、ご高齢の方が命の瀬戸際で必要としている医療は何なのか?と考えます。100歳の方が心肺停止などで救命救急センターに搬送されてくることがありますが、蘇生することがその人にとって、どういう意味があるのか、そういった高齢者救急を社会全体で考えなくてはいけないと思うようになりました。

将来、救命救急で働きたいと考えている方々へ伝えたいことは?

救命医療は何かと「辛」が多い職場と思いますが、真摯に取り組む中で一画加え「幸」を生み出していける環境だと思っています。

難しい事は考えずに、まず救命医療に飛び込んでみて欲しい。色々考えるのは、それからでいいんじゃないかと思っています。長い医師人生の中で、少しの時間でいいから救命救急医療を経験して欲しいです。救命医療には「医師の人としての本質」を育てる力があると思っています。

未来の救命救急に望むことは? また、その為には何が必要か?

医師がそれぞれの専門分野で活躍するSpecialist時代における弊害の1つは、医師が専門以外の疾患を診療できないことで、そんな時代に私が望むことは、救命救急センターが病院の真ん中にあって、救命救急センターを中心に医療が実践されたらいいのに、ということです。

その為に必要な事は、救命救急センターがショックや多発外傷など救命独自の専門領域に長ける一方で、各専門医の間に入り「すき間産業」的な役割を担う事が大切かなと思います。優れた「すき間産業」的医療があることで、救命される症例が世の中には多くあるんじゃないかと思っています。

公開日:2012年4月5日  カテゴリ: 未来の救急医達へ