今回の震災を受けて、私の中でも大きく認識が変わったことがありました。
これまでは、災害医療は「救命救急医療の延長」にあるものと考えていました。しかし実際に、震災後数ヶ月間の現場を目の当たりにしてイメージが180度変わりました。
これまで私の中で災害医療とは、急性期のイメージのみでした。疾患を治療し、命を救うことが全てと捉えていたということになります。しかし実際の災害医療は、図にあるように、その先の亜急性期・慢性期に関しての対応が、急性期と同じかそれ以上に「大事な事」だったのです。
過酷な避難生活の状況
避難所生活の様子は本当に過酷なものでした。
窓を開けると砂ホコリが入ってくる避難部屋は、硬い床に直に布団を敷き、やむおえない就寝を強いられます。さらに、お年寄りの介護も制限された状態では、寝返りもままならない状況でした。当然、21時の消灯後は咳も気兼ねしなければなりませんし、トイレが遠いので食事・飲水を控える人もいました。
また、そのトイレ、風呂に至っては、その仮設的な作りから、段差が高いなど、弱者(高齢者・乳児・障害者)にとってとても使いづらい状況にあるものでした。
被災者の方々はこのような現状を数カ月間にわたって耐えなければなりませんでした。そのような状況下での、人々の心労は計り知れないものがあると思います。
そこでは、被災者の心身ケアの問題が大きく、保健 介護 栄養 衛生 福祉、といった分野の方々による手助けが何よりも必要でした。そして、我々が普段行なっている地域医療の縮図がそこにはありました。特に、今回の震災ではこれが大部分をしめていたと思います。
震災対策には地域の連携が何よりも大事
それから、平常医療への移行バランスに関しても思うところがありました。
災害医療を、社会復興の一部としてとらえるならば、無償医療から、本来あった元の有償医療体制へと移行できるだけの体力が付いた段階で彼らの自立を促すため、ある程度の段階で撤退する必要もあります。ボランティアとしてずっとそこに残っていてはいけないのです。これは、飲食店の営業など市民の経済活動を促す場合にもいえることです。
また、今回のように、現地の情報が全くといっていいほど入って来なかった初期段階、通常の災害医療は、行政からの指揮命令を受けて動くものですが、
市役所が流されてしまった >> 現地の被災状況がわからない >> どのようなニーズがあるかわからない
という問題に直面し、すぐに出動べきかどうか判断が付きづらい状況でした。
しかし、今回のような指揮命令系統が成り立っていなかった状況下では、それら情報のないまま即座に出動した全国の医師達の勇気ある行動が、結果的に多くの命を救うことになりました。もちろん本来は、行政の指揮命令の元に医師たちが出動することがベストであることはいうまでもありませんが、しかし自主性、自発性の大切さを大いに知らされました。
当院の震災対策に関しても、DMAT派遣はもちろんのこと、より主体的に災害に取り組むようになりました。地域での震災対策を重視し、院内の災害対策をすすめることにしました。
しかし、これらの取り組みは、病院単独でやるものではなく、あくまで地域として準備する必要があり、地域連携のもと、より有効に活用できるよう緊急時の災害医療体制をより現実的なものに改訂しているところです。以上、このたびの震災対策を通じて、自主性・自発性の大切さ、お隣同士が助け合う連携の大切さを知ったため、現在、それに基づいて大いに行動しているところです。
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